大阪地方裁判所 昭和44年(ヨ)2445号 判決 1970年10月09日
申請人 田口明一
右訴訟代理人弁護士 松井清志
同 西岡芳樹
被申請人 高橋ビルディング株式会社
右代表者代表取締役 高橋清長
右訴訟代理人弁護士 松川雄次
同 野上精一
同 若江三郎
主文
被申請人は申請人をその従業員として仮に取扱え。
被申請人は申請人に対し昭和四四年七月二日以降毎月二五日限り一ヶ月金三二、〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
第一当事者間に争いがない事実
被申請人会社は不動産の売買、管理及び賃貸を主たる目的とする株式会社であり、申請人は昭和四四年立命館大学法学部を卒業後同年四月一日被申請人会社に入社し、本社営業部営業課に配属され、被申請人及び被申請人の子会社である申請外高橋商事株式会社所有にかかるビルのテナント募集(いわゆる貸室のセールス)に従事していたものである。しかるところ、被申請人は昭和四四年六月二七日申請人対し解雇予告の通告をなし、同年七月一日予告手当として申請人の平均賃金の支払の提供をして解雇の意思表示をなしたが、申請人がその受領を拒絶したので被申請人は同月二九日これを供託した。
第二本件解雇の効力
一 被申請人は被申請人会社就業規則にもとづいて申請人を解雇したと主張するのに対し、申請人は右就業規則の効力について争うので、この点について判断する。
申請人は、右就業規則は労働基準法第一〇六条所定の労働者への周知方法がとられていないから無効であると主張するが、就業規則が効力を発生するためには同条所定の周知方法がとられることは必ずしも必要でなく、何らかの方法で相当数の労働者に就業規則の内容が告知されれば足りると解するのを相当とするところ、≪証拠省略≫によれば、昭和四四年三月頃被申請人会社従業員を対象に右就業規則の説明会が開かれたことが疎明され、右事実によれば右就業規則の内容は一応被申請人会社従業員に告知されていたと解することができる。従って申請人の右主張は理由がない。
次に、申請人は右就業規則は同法第九〇条所定の労働者の意見聴取の手続が終っていないから無効であると主張するが、同条は単なる取締規定にすぎず、たとえ労働者の意見聴取の手続を経ていないとしても就業規則の効力自体には影響がないものと解するのが相当であり、申請人の右主張は失当である。
二 そこで被申請人が被申請会社就業規則第六条第九号、第一〇条、第二四条、第四五条第二号を適用してなした本件解雇の効力について判断する。
(一) ≪証拠省略≫によると、右就業規則にはその第六条に「従業員は常に次の事項を守り職務に努めなければならない。」同条第九号に「上長の許可を受けないで濫りに自己の職場を離れてはならない。」第一〇条に「従業員は休憩時間を自由に利用することが出来る。但し外出する場合は所属上長に届け出なければならない。」第二四条に「早退又は私用外出をしようとする場合には予めその旨を早退簿又は私用外出簿に記入し、所属上長の許可を受けなければならない。」第四五条に「従業員が次の各号の一に該当するときは三十日前までに予告して解雇するか又は三十日分の平均賃金を支払って即時解雇することがある。」同条第二号に「監督管理の地位にあるものに対し正当の理由なくその指揮に従わない者」とそれぞれ規定されていることが疎明される。
(二) ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が疎明せられる。
(1) 申請人が入社関係の書類の押印について他の新入社員に対し「盲判を押すな」と言ったことについて。
申請人は会社側が入社書類の押印についてその趣旨を説明した際その場にいあわせなかったのであるが出先から帰ってみると申請人と同期の新入社員が上司の机のまわりに集まっており、同僚に対して何をしているのかと聞くと何か判コを押せと会社が言っているということだったので申請人としては何のために押すのかわからないため、他の新入社員に向って「盲判は押さない方がよい」旨申し述べたこと、そして、被申請人会社においては当時申請人の右言辞をとりたてて問題とせず不問に付していたこと。
(2) 入社当初事務用品の不足について申請人が文句ばかり言っていたとの件について。
被申請人会社では申請人の入社当時書類立、ものさし等の備品が若干不足していたこと、そこで申請人が他の新入社員の希望をとりまとめて経理課の坂井のところへ持っていったところ、上司の判が必要であるとのことなので、申請人は高橋次長のところへ行って承認印をもらい結局備品を購入してもらったこと。
(3) タイムレコーダー及び始末書の件について。
被申請人会社では昭和四四年五月三〇日に新入社員に対して精励賞(無欠勤かつ無遅刻無早退の者に一ヶ月金三、〇〇〇円が支給される)ないし努力賞(欠勤一回かつ遅刻、早退三回以内の者に一ヶ月金一〇〇〇円が支給される)が支給されたが、申請人は精励賞を支給されるものと思っていたところ、予期に反して努力賞であった、そこで申請人が経理課の大西昭子のもとへ行って事情を聞くと、申請人がタイムカードをきちんと押していないことが一度あったから精励賞は支給されなかったとのことであった、そこで申請人は同女に対し押し忘れではなくてカラ押しである、押したけれども写らなかったのでありその証人もいる旨申し述べた、そこで経理課の根岸の指示により、申請人と同女とが高橋次長のもとへ事情を説明しに行ったが同次長は不在であったので、大西昭子がそれなら私が聞いておいてあげますということであった、そこで申請人が翌三一日大西昭子のもとへ結果を聞きに行くと、やっぱりだめであったということなので申請人としては心外に思い同女と言い争っているうち、それは殺生な話だ、高橋ビルでは人間よりも機械の方が大事なのかと、声を荒らげてどなった、ところがたまたま近くにいた高橋社長がこれを聞きとがめ、申請人の右言動により来客に対し恥かしい思いをしたとして高橋次長と福田課長にその善処を指示した、そして翌々日の六月二日福田課長は申請人に対し右言動の責任をとってやめるようせまったが、結局は右の件について始末書を提出することで話は落着することになった、しかるに、申請人が一〇日間程右始末書の提出を躊躇していたところ、河村総務部長が始末書の原稿を示してきたので、申請人はその原稿に従って始末書を書きこれを提出したが、右始末書の内容は、今回申請人が粗野な言動をとったため、社長以下先輩に対し迷惑をかけて申し訳ない、今後このような言動をくり返すことがあった場合はその責任をとって即日退職するというものであったこと。
(4) 申請人らが喫茶店に入っていた件について。
申請人が申請外大門文一、同西田一郎とともに昭和四四年六月二七日就業時間中である午後一時二〇分頃被申請人会社においては営業部員といえども濫りに喫茶店に立入ることは禁じられているにも拘らず上司の許可を受けずにしかも別段社用があるわけでもないのに大阪市北区絹笠町所在の喫茶店「小松」へ入ってお互いに話をしていたところ、午後一時三五分頃申請人らの上司である福田宏営業課長がやって来て申請人らに対し「君ら三人帰ってきなさい」と命令して同課長はそのまま会社へ帰ったこと。申請人らが午後二時頃会社へ帰ると、直ちに右福田課長から右行為について弁解をきかれ即座に「会社としての結論は出ています、やめてもらいます、荷物をまとめて帰ってください」と言って申請人ら三人に対し解雇を申し渡したこと。そして、それからしばらくして現われた高橋正吉営業部次長も申請人らに対し「えらいことしてくれたな」と言い、同じく申請人らを解雇する旨申し渡したこと、そして、申請人らが右の如く喫茶店に入ったのは申請人が同日午後テナント募集に行く途中、同様テナント募集に行く途上にあった被申請人会社の子会社である高橋商事株式会社の営業部員であり、申請人と同じ業務に従事していた同期の大門文一、西田一郎に会ったところ、同人らがいずれも前記のように同期の新入社員でもあり、また同じ業務に従事していたこともあって、道々仕事のことなど話しあっているうち、つい話が長びいて喫茶店へ入ろうかということになり喫茶店へ入ったこと。≪証拠判断省略≫
而して、被申請人主張のその余の解雇事由についてはこれを肯認するに足る疎明がない。
右認定事実によると、申請人が上司の許可なく喫茶店に入ったことが本件解雇の直接の契機となったものであり、右行為が一応就業規則第四五条第二号に該当することは明らかである。しかしながら、(2)の事実は事務用品が不足した場合、従業員においてその不足に耐えなければならない理由はなく、これに対し不足の補充等を上司に具申することは従業員としての当然の権利であり、その具申において申請人が上司に対し不穏当な言動をとった形跡も認められないから、申請人の右行為をもって就業規則に違反するものとすることはできない。(1)の事実は、何事によらず押印をなすことは事の事理を判別し慎重になさるべきものであることは多言を要しないところであるが、被申請人会社が新入社員に求めた押印は入社のために必要な所要のものであり、これに対し何ら異論を差しはさむ余地もなく、申請人は上司からの説明があった当時その場に居合わせず右押印が何のためになされるものであるかも知らなかったにも拘らず、他の新入社員に対し盲判を押すなと言明したものであって、その言辞たるや不穏当のそしりを免れないものというべきであり、これと前記(3)認定の事実とを合せ考えると、申請人は上司、先輩に対する態度、言葉使いが極めて好ましくなかったものと認めるに難くない。しかし右(1)の行為に対しては被申請人会社においてこれを不問にしていた事柄であり、(3)の行為に対しては申請人に対し昭和四四年六月初始末書を提出させ、当時その処分を終えているのであるから、本件解雇の契機を考えると被申請人はこれらの事実を喫茶店無断出入を処断するについての情状と考えて判断したものと推認するに難くない。
ところで、≪証拠省略≫によると、被申請人会社就業規則にはその第三五条に「会社は就職を希望する者の中、詮衡試験に合格し所定の手続きを経た者を従業員として雇い入れる。但し、三ヶ月間の試雇期間を設ける」旨規定されていることが疎明されるところ、申請人が昭和四四年四月一日に被申請人会社に入社し、それより三ヶ月以内である同年六月二七日に被申請人より解雇予告の通告を受けたことは当事者間に争いがないから、申請人は当時同条但書にいう「試雇期間」中の従業員であったことが認められるところ、≪証拠省略≫を総合すると被申請人会社では昭和四四年一月下旬より約一〇名の会社幹部を集めて週一回新入社員の受入れ体制の社内教育及び新入社員教育の方針などについて打合せ会をもつとともに、新入社員の教育日程等を作成して受入れ体制をととのえたこと、申請人ら営業部に配属された新入社員一〇名は右日程表に基づいて入社後約一〇日間にわたって研修を受けたが、その間に就業規則、営業部員としての必要知識、接客態度、テナント募集の方法等について教材あるいはスライドを用いるなどして教育を受けたこと、その後は申請人らは上司とともに顧客をまわってテナント募集の実務を経験したり、新入社員が二人一組となり、あるいは単独でテナント募集の実務を経験するのであるが、単独でテナント募集に出かける段階では、試用期間中の従業員であるかないかによってその仕事の内容そのものは特に差異がないこと、右期間中は立前として精励賞、努力賞、営業手当が支給されないことになっていたこと(しかし、実際は田尻人事課長(当時)の失言により支給されたのであるが)被申請人会社においては本件喫茶店に入った申請人ら三人以外の者については、従業員としての適格性を疑う者があったのにこれに対し何らの処置もとっていないことが疎明され、右認定を左右するに足る疎明はない。そして、右認定事実と試用期間中の申請人に対し就業規則第四五条第二号を適用して本件解雇の意思表示をした事実とを合せ考えると、被申請人会社における試用期間の制度は右制度が本来有すべき新入社員採用試験の際判定することが困難な事柄、例えば会社の職場における対人的環境に順応しうる素質等会社の従業員としての適格性を観察、判定し、その判定によって本採用するかどうかを定めるという判定の機能は極めて少く、その実態は専ら正社員となった場合に必要とする基礎知識および業務を習得させるための教育期間としての機能を有するものであり、むしろそのために試用期間なる制度を設けたものと解することができる。ところで、従業員の行為を評価するにあたっては同一の行為であってもその行為者の地位、立場等により非難の度合いに強弱がありうることは一般に考えられるところであり、教育期間中の従業員が他の従業員より強く非難せられるべきことのあるのは勿論である。
しかし反面被申請人会社においても教育的観点から試用期間中の者に若干責められるべき事実があるとしても、これに対して直ちに解雇をもって臨むことなく合理的な範囲内でその矯正、教育に尽すべき義務があるものといわねばならない。ところで、試用期間中の従業員として一人前の営業部員になるべく教育、研修を受けている身でありながらこれを省りみず、濫りに喫茶店へ立入って職場規律に違反したことは強く責められて然るべきものである。しかしながら、申請人ら三名は特に前もって計画的に喫茶店へ入ったというものではなく、また遊興娯楽のためというよりは同じ業務に従事している新入社員同志として仕事のことについてお互いに話をしているうちつい話がはずんで喫茶店へ入ったものであり、その行為の目的、態様において特に悪質とは目し難い。のみならず、申請人が右以外に幾度となく濫りに喫茶店に入ったことを認めるに足る疎明もなく、しかも始末書提出後は、申請人は従来の言動を反省し、以後上司、先輩に対する態度、言葉使いにおいてさして問題としなければならない状況になかったことが窺われ、しかも右始末書の提出は申請人の粗野な言葉使いを問題とするものであるのに反し、喫茶店の件は申請人の職場離脱ないし命令不服従を問題とするものであって、その性質において異なるものがあると考えられこれをもって喫茶店の件に対する重要な情状として考慮することは適切ではない。
以上認定の諸般の事情を合せ考えると、申請人が一回喫茶店に入った事実をとらえて申請人を直ちに解雇処分に付するのは社会通念上いささか酷に過ぎ解雇権の濫用であると言わざるを得ない。
三 被申請人は本件解雇の意思表示以後の申請人の行為をあげて本件解雇が解雇権の濫用であるとしても、申請人の右行為を考慮に入れると右瑕疵はこれにより治癒されると主張するが、右事由をもって新たに解雇の意思表示をするのはとにかく(しかし、右事由は本件疎明によると、申請人が本件の不当な解雇に対しその是正を求めるためやむをえずなしたものであることが明らかであるから、宥恕すべきものが相当あり、これをとりたてて解雇事由とするのは相当でない)、これにより瑕疵が治癒されるものと解することはできない。
以上のとおり本件解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効といわなければならないから他に特段の事情の認められない本件においては申請人は依然として被申請人会社の従業員としての地位を有するものというべく、被申請人が本件解雇後申請人の就労を拒否していることは弁論の全趣旨により明らかであるから申請人は被申請人会社に対し被申請人の主張から被申請人会社において解雇の効力が生じた日として取扱っているものと推認される昭和四四年七月一日の翌日以後賃金請求権を有するものである。
第三、保全の必要性
申請人本人尋問の結果によれば申請人は賃金のみを生活の資としている労働者であることが疎明されるところ、被申請人は申請人の両親兄弟がが独立の生計を営んでおり、申請人において当面の生活に困窮することはない旨あるいは現在大学卒業者は容易に他の職場を求めることができる旨主張するが未だかかる事実を認めるに足る疎明がない。そうすると、申請人は賃金労働者としてその収入途絶により著しく生活が危殆に瀕していることが容易に推察されるので、仮処分によりこれに対する緊急の救済を求める必要性があるものというべきである。
ところで申請人が本件解雇当時毎月二五日限り、本俸金二七、〇〇〇円、住宅手当金一、〇〇〇円、食事手当、営業手当各金二、〇〇〇円、精励手当金三、〇〇〇円以上合計金三五、〇〇〇円を被申請人から支払を受けていたことは当事者間に争いがないが、右手当のうち精励手当については前に認定したように無欠勤、無遅刻、無早退の者に限って支給されるものであるところ申請人が本件解雇後かかる状態を持続しつづけるであろうことを推認するのは相当でなく、しかも右金員については仮処分の必要性はないものと認めるのを相当とすべく、また、本件解雇後の昇給分及び一時金についてもその被保全権利の存否はさておき、申請人が独身の若年男子であること(この点については当事者間に争いがない)を考慮すると未だ本件仮処分の必要性はないものと認める。
よって申請人の本件仮処分申請は従業員としての地位保全並びに昭和四四年七月二日以降前記認定の賃金支払を求める限度においてその理由があるから保証を立てしめないでこれを認容すべく、その余は失当として却下すべく、民事訴訟法第八九条第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野千里 裁判官 平井重信 近江清勝)